愛するということ
「愛するということ」小池真理子
2007年12月10日初版(幻冬舎文庫)
あらすじ
人は人を愛する時、いつもどこかで本当の自分、飾り気のない自分をさらけ出してしまうのだろう。相手に見せたい自分、こんな風に見てもらいたいと願う自分は、実は常に、中身のない、実体のない、ただの抜け殻にすぎないのだ―――。愛の始まりから失恋、絶望、再生までを描く小池文学の決定版、本格恋愛小説。
こんな人におすすめ
〇どうしようもなく好きな人との別れを経験した人
〇自分自身に尊厳を持っている女性
〇恋愛とは…を考えたい人
小池真理子さんの小説を未だ読んだことが無かったため良い機会だからと手に取ったのですが、すげぇ・・・と言葉を失ってしまう小説でした。
これは、一人の女性(マヤ)が、好きになった男性(野呂)に捨てられるだけの物語です。
その出会う、仲を深める、振られる、その後過ごす、を女性視点で語っているだけなのですが、如何せん読むのに多大なエネルギーが必要です。
というのも僕はここまでひたすら好きな人のことを考え続けている小説に初めて会いました。読んでてその愛の深さに気疲れするという経験を初めてしました。笑
もうびっくりするくらい主人公の女性が、その男性をどれだけ好きかということが無限の表現で300ページ弱に渡り描かれています。
しっかり確認してないですが、おそらく1ページに絶対「野呂」という単語が出てきている気がします。笑
逃げる表現をしてしまえば、愛の重さをただ延々と語っているだけとも言えます。
ただ、きっとこれは恋愛に生きる女性にとっては、バイブルとすらなるのではないかと思います。(恋愛に関して興味がない人からしたら全く理解が出来ないと思いますが・・・)
こんなにも人を好きになるってどうしようもないものだったのか…?と不安になってしまうくらいマヤの愛が伝わってきますし、人のどうしようもなさ弱さ醜さを喉元に突き付けてくる作品です。
ターゲットを絞りに絞ったうえで小池真理子さんは大切なメッセージを届けているのではないかと感動すら覚える作品です。
以前、読んだ藤堂志津子さんの「やさしい関係」でも女性の恋心と葛藤が精緻に描かれていましたが女性像が対照的だったのが印象です。
「やさしい関係」では、最近離婚した友人に対し突然恋心を抱くどちらかというと純粋な女性の恋心を表現していました。
一方で今回の「愛するということ」に出てくるマヤは、(小説内で書ききれないほど多くの男性と)したいときに誰かれ構わず性行為をする活発性があります。
同じ人を好きになることの葛藤を描く小説で、この差が生まれるのはおもしろいなと思いました。
読後として、恋愛って恐ろしい…と思うと同時に、ここまで人を好きになってみたいという興味もほんのり顔を覗かせる二律背反な内容でしたので、そういった気分の方は是非読んでみてください!