いなくなれ、群青
「いなくなれ、群青」河野裕
“11月19日午前6時42分、僕は彼女に再会した。誰よりも真っ直ぐで、正しく、凜々しい少女、真辺由宇。あるはずのない出会いは、安定していた僕の高校生活を一変させる。奇妙な島。連続落書き事件。そこに秘められた謎……。僕はどうして、ここにいるのか。彼女はなぜ、ここに来たのか。やがて明かされる真相は、僕らの青春に残酷な現実を突きつける。「階段島」シリーズ、開幕。“
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〇ふらっとどこかに行きたくなった人
〇客観的な自分がどこかにずっといる人
〇何かをしっかり話したいけど話す相手に困る、みたいな思考をよくする人
はい。
この本はドンピシャでした。噂はかねがね聞いていたのですが、予想に違わぬ世界観。
個人的にはドストライクです。
加納新さんの書く新海誠シリーズの書籍や三秋縋さんのファンなら絶対に好きになる一冊間違いなしでした。
これらの作品の何に惹かれてしまうのかを考えてみたところ、主人公の達観した雰囲気だなぁと自分のなかでは思っていて。
どの作品も主人公を見ていて、幼い言動にいらいらするとかそういう系の感情はあまり生まれないんですよね。そういう人たちは他の主要人物には多いけど。主人公らはむしろ一読者から見ても理知的な行動をしていると思える。けど、正しいっぽくて、危なっかしいなと思うんですよね何故か。
とはいっても多くの場合、一つ一つの行動が主人公のエゴに基づいていて、それが心地よいというか羨ましいという気持ちにもなります。
彼らはきっと何か欠けてしまっている人間で、そのことに諦めていたり、他者に託していたり、未来の自分がどうにかしてくれるだろうと考えている。
それは悲観的ではないと自分では思っています。彼らはその事実を悲しがっていないから。むしろ現実を見据えて納得してそんな自分でもいいじゃんと思い、分を弁えてしまっている。
悪いことではないんです。でも、良いことでもないかもしれない気がするんです。…なら、良い悪いって何で決まるのだろう。結局自分で決めるしかないのなら、彼らは「良い」行動をしているといえるのかなぁ。
そんな答えのない暗い袋小路で自分の信念という光をぶら下げながら、ぼんやり答えを探して歩きまわっている。
きっと感情が大きく揺れ動くことに対する恐怖みたいなのがついて回っているのではないかと思うんです。大きすぎる心の揺れは間違いなく自分をもとの形には戻すことが出来なくなってしまうから。自分なりの予防策を張って。自分なりの生き方を決めている。
そんなイメージです。もっともっと適切な言葉がある気もするんだけど。もっと他の本を読んで、更に自分の中で納得できる言葉が今後見つかれば良いななんて思ってます。
ここまで全然、本作の内容に触れていないですが。笑
この作品に一つテーマがあるとしたら、僕は「憧れ」だと回答したいと思います。
どの登場人物も優しいようでいて自分なりの「憧れ」があって、それを他者に貶められたくないという強い意志がある。
それを体現している一人が「100万回生きた猫」さんなのかなぁと思っています。
誰からも、誰かの大事な過去の一部の名前で呼ばれることに込められている想いというのが個人的にはすごく気になるところでした。彼のことを次巻以降掘り下げていってほしいなと思ったりもしています。続きを読むのがとても楽しみです。
この本を読んで、“どうしようもなく”、また「表現者」の虜になってしまった気がします。