最後の医者は雨上がりの空に君を願う<上><下>
・「最後の医者は雨上がりの空に君を願う<上><下>」二宮敦人
上あらすじ
「流されるままに生きればいい」。小さな診療所を始めた医者・桐子は患者に余命を受け入れる道もあると言い切る。一方、かつての同僚・福原は大病院で閑職に追いやられてもなお、患者の「延命」を諦めない。別々の道を歩む二人が、ある難病の恋人同士を前に再会を果たす時、それぞれに壮絶な過去が呼び覚まされるのだった。残された日々を懸命に生きる患者と医者の葛藤と闘いを描き、大反響を呼んだ医療ドラマ。衝撃の新章へ!
下あらすじ
少年時代に入退院を繰り返し、ただ生きるだけの日々を過ごしていた桐子。だが、一人の末期癌患者との出会いが彼を変えた。奇しくも、その女性こそ幼き福原の母だった。彼女の命を賭けた願いとは? なぜ、人は絶望を前にしても諦めないのか? 再び、二人が「ある医者」との闘病に挑む時、涙の真実が明らかになる。流転する時を越え、受け継がれる命が希望の未来を生む――読む者に生き方を問い直す、医療ドラマ第二弾。感動の完結編!
<こんな人にオススメ>
〇自分自身の答えに悩みながらもある一つを選んだ経験がある人
〇人の「死」について改め考えたい人
〇世の中に存在する「病」という理不尽さにしっかり目を向けたい人
前作「最後の医者は桜を見上げて君を想う」が好きでこの度続編を購入しました。
今作の前に前作の振り返りを是非させて頂きたいのですが…ホントに素晴らしい作品でした。
僕は人の「死」に向き合う作品がすごく好きなんですよね。
きっと僕は人生すごく恵まれてきたと思うんです。大好きな家族に囲まれ順風満帆な学生生活を過ごし自分のやりたいことをやれている。
だからこそ、当たり前の幸せを「当たり前」だと感じすぎてしまうことに恐怖を覚えるときがあります。正解が続いてしまうと正解であることに不安を感じるから間違いが出てほしいという感覚…とでも言えばいいのでしょうか
そう、だからこそ、「死」を身近に感じることでより「生」を痛感するというような逆説的安心感を得たいという欲望があるのだと思います。
甘んじた日々を過ごす中で、時折本を読み「死」の影を感じることで、改めて生きることの大切さを実感するということです。
きっと多くの人もそうなんじゃないかな、と勝手に思ったりもしています。
だから僕が好む作品はただヒトが死ぬことでは不十分極まりなくて、その死に対する解釈を論じてほしいわけです。
その点で言えば「最後の医者は~」シリーズはドンピシャと言えるでしょう。
この作品には相反する二人の医者が出てきます。
一人目が天才外科医師の福原。彼は所属する医員のエースでありバイタリティ溢れる人柄です。最後まで「生」へ本気で向き合い、彼の担当した患者は末期でも福原の強い言葉を信じ続け驚異的な回復を見せることがあります。奇跡を呼び起こすことができるんのです。彼と一緒なら最後まで病気と戦い続けても心が屈することはない、そう思えるようなアツい人物です。
二人目は桐子。彼は病院内では「死神」と揶揄される存在です。診断結果に関しては情を挟まず淡々と真実のみを述べ、必要なことを必要なだけ指示します。治るかもわからない無意味な延命治療をするくらいなら最後の死に方を考えたほうが良いという「死」に向かいあう医師と言えるでしょう。
とまぁこの二人の医者の戦いなわけですよ(桐子はひょうひょうとした性格なので毎回福原が一方的に桐子に対して怒りを露わにするわけですが)
この二人の存在がいるだけで、ご想像がつくかもしれないですが正反対の病人ライフが生まれてしまうわけです。
例えば、余命三か月のガンを宣告されたとしましょう。
福原医師はきっとアツくこう言うわけです。
「最後まで諦めないでください。余命が一か月と言われた人でも何年でも生きた例もあれば完治した例だって存在します。一番ダメなのは心が病気に負けてしまうことです。今この瞬間はもし治る見込みがないとなっても医学の進歩はすさまじいのですから、待てば特効薬ができるかもしれません。奇跡は最後まで戦い続けた人に起きるのです。私は絶対に見放しません。一緒に頑張っていきましょう。」
一方桐子医師は淡々とこう言うことでしょう。
「このままでは貴方は三か月で死にます。もし延命措置を図ればもっと生き延びる可能性もあります。しかし奇跡でも起きない限りは完治することはないと思ってください。治療費としてはだいたい○○くらいかかります。闘病生活は決して楽ではありません。24時間吐き気に襲われ、身体の節々は痛み、己に降り注いできた理不尽を嘆く日々を送ることになるとは思います。勿論闘病をして希望を見続けることも自由です。ただもし諦めて死への道を選ぶなら、痛み止めのみを行い最後まで貴方らしく、最期にやりたいことをできるだけ実践し、尊厳に満ちて逝くということもできます。どちらかを選ぶかお任せしますのでご一考ください。」
一番タチが悪いのは二人とも、患者のためを想って言っているということです。
福原医師のいうことはもっともです。ただそれだけ死ぬ直前まで苦しみながら頑張って最後に死んでしまったら…?本人はもしかしたら最期まで諦めなかった自身を称えるかもしれません。ただ、周りの家族は?もっと苦しまないで幸せに逝かせてあげることもできたんじゃないかと思うかもしれません。
桐子医師のいうことももっともです。患者にとって大事なことを忘れないまま最期の瞬間を迎えるかもです。でも、この場合確実に死にます。福原医師に従っていれば奇跡が起こりもしかしたら救われたかもしれない命が散るわけです。家族はどう思うでしょう?なんとしてでも生きてほしかったと思ってしまうかもしれません。
わっかんないですよね。ほんとに。
前作ですごく印象的に残っているシーンがあります。それは患者に対して医師が
「この治療をすればいくらかかるけど生存率が○○%上がる。その後こういう治療をすれば○○%の人が生き残っている。ただし転移してしまう可能性は○○%あり、その時は○○をしなくてはならない。どうしますか?」と聞く場面です。
この時患者はすっごく悩むわけです。勿論治療には莫大なお金がかかりますし、大変な思いをする可能性があります。ただそれ以上に辛いのは「治療の選択肢を呈示されることで仮に自分が死んだときにそれが自身の選択の結果」となることが怖いということでした。どれかを選んだら生きていたかもしれないという淡い希望がある分、死に対する絶望に重みがあるのです。
こういう話を聞けば聞くほど改めて病気の理不尽さを痛感します。
最期に、本作の面白いところとして各話のタイトルに着目をしたいと思います。
各話は「~の死」という題名です。これは揺らぐことがありません。
つまりその話を読み始めるとしばらくして読者は誰が死ぬのかに気付いてしまうのです。
これは桜庭一樹の「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」と同じで、始めに結論を呈示することにより終わりに近づいている不安感を与えます。
どんなに必死に治療している姿を見てもきっと死ぬだろうと苦しい気持ちで読み進めるので、この読者の神の視点的孤独感はなかなか他の小説では味わえないかなと思ったりもしています。ただ、最期の結果は分かっているのにこのような結末にできるのかとヒトの強さに改めて感動します。
生きるということ、死ぬということ。
考え直すきっかけになりました。
医師や看護師など医療系志望の人も是非読んでほしいなと思います。
自分が選んだ道を答えにしなくてはならない。そう感じさせてくれた特別な一冊です。