手のひらの音符
「手のひらの音符」藤岡陽子
(2016年9月1日初版発行)
<https://www.amazon.co.jp/dp/B01N4ULR4X/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1>
デザイナーの水樹は、自分が服飾業から撤退することを知らされる。45歳独身、何より愛してきた仕事なのに……。途方に暮れる水樹のもとに中高の同級生・憲吾から、恩師の入院を知らせる電話が。お見舞いへと帰省する最中、懐かしい記憶が甦る。幼馴染の三兄弟、とりわけ、思い合っていた信也のこと。<あの頃>が、水樹に新たな力を与えてくれる—。人生に迷う全ての人に贈る物語!
こんな人にオススメ
〇家庭環境に考えることがある人
〇自分の大事なものを見つけきれずに悩んでいる人
〇「人の心」のしたたかさに勇気をもらいたい人
人生に迷っている僕ですが、読んでる途中泣きかけました笑
珍しいですよね、45歳の主人公なんて。
ただ、物語自体の軸は過去の回想編が多く、幅広い年代の人を捕まえれる話です。
生まれ育った家庭環境を、子どもはほぼ変えることが出来ません。
それは、子どものうちにはその環境に対して疑問をそもそも持てていなかったり、無力だったり色んな理由があると思います。
恵まれた家庭で育った人は、そんな過酷な環境で育ってきた人の苦労を実感として得ることはできないです。ただ、想像をできるかどうかっていうことはきっと大切だと思うんです。そのような相手を考える気持ちで、もしかしたらSOSを見つけれるかもしれないから。
ストーリーも素敵だったのですが、僕の語彙では語りつくせる気がしないので、作中「やられた」と思った表現について、紹介させていただきたいなと思います。
「毎日通っている道に、突然空き地が現れ、「あれ、前はここに何があったっけ」と特に感慨もなく素通りすることがある。大人になった水樹にとって、人との別れはもはやその程度のものだった。一緒にいるときはそれなりに親しく過ごすけれど、いなくなってしまえばそれはそれで、平気。」p130
この例えに僕は少し恐怖を覚えました。他人事じゃないなと感じたからです。
それこそ丁度一昨日、ほぼ毎日通る道の横に立っていたビルが更地になっていたのですが、そこに何が入っていたのか全く思い出せないという経験をしました。このときに、まぁ良く通る道とはいえ注意を払っていないしそんなものか、と深く考えることなく通り過ぎたのですけど…これって怖いことですよね。
この例えを人の別れに当てはめた時、とても腑に落ちる自分が居て。このような表現をされる藤岡先生に頭が上がらない思いでした。
断捨離する感覚にも少しだけ似てますよね。捨てる瞬間はいつか使うかもだから捨てられないって思う割に、いざ捨てたらそれを二度と使うことはなかっただろうしそもそも覚えていないことってたくさんあると思うんです。
「いなくなってしまえばそれはそれで、平気」…なんとまぁ平気じゃない怖さを持った文なのか。
「うん。まずね、生まれながらに持っている性質。そして、その性質に、環境や経験が影響して性格を作る。まあ学生の頃っていうのは、この性格を剥き出しにして生きてるんだろうな。それが、さらに年を重ねていくと、性格を人格で覆うことができるようになる。人格は、学びながら獲得していく種類のものなんだ。性質、性格、人格。この三層で人は成り立っている」p164
憲吾くんのセリフから取らせていただきました。なるほどねぇって思いました。
憲吾くん自身は、出来るだけ早くこの人格を手に入れて人として熟成したいという気持ちがあったようです。
ただ、僕はこれを読んでいて、もしこのルールに則るのであれば、どれを大事にしたいかと考えました。
これを読んでいる方はどのように感じますか?
「性質」はきっと変わらないものでしょう。また「性格」も成長するにつれて変化していくものがあるとはいえ根本は大きく変わらないと思います。
対人コミュニケーションにおいて臨機応変に対応するのはきっとこの「人格」なわけです。
大切な人に皆さんは何を好かれたいですか。性質?性格?人格?
性質で繋がれるのが運命
性格で繋がれるのが相性
人格で繋がれるのが相棒
と個人的には思いました。異論、認めます。笑
僕は大切な人と、性格で繋がりたいかなぁ。
「虚しいというのは何も為さないことではなくって、幸せな時間を生きてきたと思えないことだから。」p323
最近、就職活動をしていることもあり自分の将来について考えます。
何になりたいのか、誰に何をしたいのか、そういうbeやdoのところに目にいきがちで、spendを考えていなかったなと思いなおしました。
いや、でも、まぁこれは賛否両論あるとも思いますね。
辛くても何かを成したという事実で、自身は幸せだったと思える人もいると思うし、
逆に何も残せなかったけど大切な時を過ごしたことで救われる人もいると思います。
他人と比べてどうではなく、死ぬときに、自分にとって最高の人生とは、これまで自分が生きてきた人生だったと思えるようになりたいですね。
それが人生の一番の幸いかなと思います。
手のひらの音符、すてきな題名です。
手のひらからこぼれ落ちていってしまった音符という意味もあるし、いつだってその想いを手のひらに浮かべることができる身近さ、みたいな意味もあるのではないかと僕は受け取りました。