フーガはユーガ
「フーガはユーガ」伊坂幸太郎
(2018年11月10実業之日本社)
<https://www.amazon.co.jp/dp/B07KXN77ND/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1>
あらすじ
常盤優我は仙台市内のファミレスで一人の男に語り出す。双子の弟・風我のこと,決して幸せでなかった子供時代のこと。そして,彼ら兄弟だけの特別な「アレ」のこと。――著者一年ぶりの新作書下ろし長編は,ちょっと不思議で,なんだか切ない。
こんな人におすすめ
・伊坂幸太郎ファンの人
・不遇な状況を自分で変えたいと思っている人
・ヒーローになりたかった人
久々の伊坂幸太郎作品です。とはいっても僕自身これまで読んだものはグラスホッパー・マリアビートルの2作品しかないので不勉強なものなのですが・・・。伊坂作品の魅力は数あると思うのですが作品間の横断というのも大きいと思っています。他の方の感想を見て知りましたが,この作品にも何度か他の伊坂作品で登場した人物が名前だけ出てきてます。そういった「久しぶり,その後もよろしくやってるよ」感はきっとファンとして読み込めば読み込むほど好きになっちゃうんだろうなと思います。
以下ネタバレを含みますので,未読の方はお気をつけてください。
この作品の副題はTWINS TELEPORT TALE,つまり「双子の瞬間移動の物語」という意味です。なんとも簡潔で分かりやすく一瞬でこの本のダイジェストを伝えることができる3単語なのでしょう。
一方本題の「フーガはユーガ」。
こちらは逆に何とも解釈が難しく面白いと個人的には思っています。
例えば本文中でも言及していましたが,この名前は「Whoが」「Youが」という代名詞としても変換され得ます。では,その,あなたこそ誰なのかって思った時に,彼らは風「我」であり優「我」である。つまり双子,それも強い繋がりを感じさせながらも各々が自分(我)自身を大切にしているといった力強さがあります。
そして,題名をなぜ「フーガとユーガ」にしなかったのかもとても興味深いところです。この間のひらがな一つで読者が受け取る印象というのは大きく異なり
「は」→フーガ=ユーガ
「と」→フーガ&ユーガ
という図式が成り立ちます。フーガとユーガはイコールですよ,そうでなくてはならないのですよという強いメッセージが題名からも考えられます。
また,タイトルだけでなく本のロゴも面白いです。
「フーガ」は表を向いていて「ユーガ」は反転しています。
また逆に「優」は表を向いていて,「風」が反転しています。
つまり,まさに両者が背中を向かい合わせているように見えるわけです。
ユーガとフーガが表裏一体ということをデザインでも非直接的に伝えるなんてオシャレですねぇ。
物語終盤,優我の死により二人の入れ替わりは突如終わりを迎えます。
それでも優我から見た一人称視点は一貫して崩されませんでした。ここからの部分を何度も何度も読んだのですが,優我の意識のようなものが風我に入った,という認識をしています・・・。とうとう二人が一人になったと。
もしかしたら違うかもしれませんが,僕はきっとそうなのではないか,と勝手に信じることにしました。これまで幾度とない困難に直面して,奇跡を起こしてきた彼らならこれくらいのことがあってもいいじゃないですか。(それか優我が「嘘だったんだ」と言っていて颯爽と登場してくれても良いんですけどね。)
というか風我も実は優我が自分の中で生きていることに気づいているんじゃないかと思います。
「この三年,アレが起きたことはないし,起きるとは到底思えないけど」p279
がoccurではなくawakeの話なのではないかと実は僕は信じて止まないのです。
最後に,この風我の子どもたちは今後入れ替わる可能性があるのか,ということについて考えたいと思います。
「誕生日には気をつけろ」と意識の中の優我が言っていることから,現時点では,子どもたちの入れ替わりは起きていないと思います。最後の風我のセリフも,優我への温かい気持ちを込めた一言なのだろうなと思います。
ただ,僕はこの子どもたちは今後入れ替わりが起きると確信しています。
一つめの根拠としてはまだ子どもたちは3歳なので,ユーガとフーガがお互いの入れ替わりを初めて認識した5歳になっていないこと。
そして二つめ,それはフーガという楽曲形式が,主題によく似たモチーフを次々と反復して音楽を紡ぎあげていくことを表すからです。
なんてことはない予想ですが読後にこうして希望を持ったっていいじゃないか。
彼らなりのハッピーエンドの様がまた別の伊坂作品で垣間見れることを祈っています。