想い出のおもちゃ箱

本を読んだ感想や、ふと思ったことを書いてくブログです。自分の想いの整理や置いとく場所として使いますが、皆にも手を取って見てもらえたらすごく嬉しいです。感想もオススメも是非是非お待ちしてます。

また、同じ夢を見ていた

「また、同じ夢を見ていた」住野よる

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(2016年2月21日双葉社)

 <https://www.amazon.co.jp/dp/B07GBS4B3P/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

あらすじ

きっと誰にでも「やり直したい」ことがある。学校に友達がいない“私”が出会ったのは手首に傷がある“南さん”とても格好いい“アバズレさん”一人暮らしの“おばあちゃん”そして、尻尾の短い“彼女”だった―

 

 

こんな人におすすめ

・「幸せとは」を考えたい人

・素直な自分と向き合いたい人

・読後に色々なことを考えたい人

 

 

まず初めに、この小説を読んで感じたこととしては、素晴らしい出会いをしたなということでした。僕がこの本を今読むことが出来たのは縁ですし、きっと僕の人生の遠くないどこかでまた巡り合う予感がしています。

それだけ大事なことを心に置いていってくれる小説でした。

 

最近は心動かす本に遭遇すると、まず第一に本の事を考えます。こんな未来が他にもあったのかなとか、登場人物たちは幸せかなとか。

次に、自分の事を考えます。僕は彼らと比べて今何が出来ているのだろう。何が選べたのだろう。この勝手に受け取った思いをどうにか自分の中に大事に残したい。そういう意味もあって文字としてこう残しているという気持ちもあります。

そして最後に著者に想いを馳せます。なぜこういったことを書こうと思ったのだろう。この1文をただ書きたかったがために実は1冊まるまるこの本を書いたのではないかと思ったりもします。そして、書いてくれてありがとう、あなたのおかげで僕は、大げさかもしれませんが祝福された気になりました、と心から感謝したくなります。

 

 

本作は、住野よるさんの処女作「君の膵臓を食べたい」と似ているようで、少しだけテイストが変わっているように個人的には感じました。というのも「君の~」ではどちらかというと達観した主人公が卒なく日々を過ごす感じだった一方で、本作の主人公は達観しているものの自身を取り巻く社会と向き合っている印象を受けたからです。

勿論、主人公の年齢の違いというのもあると思います。ただ、全く同じというわけでもなければ、全く違うというわけでもないこの主人公像が面白く、住野さん自身はどっちなんだろうなと気になってしまいました。

 

以下ネタバレを大きく含みますので注意。

 

 

 

 

 

 

 

奈ノ花、南さん、アバズレさん、おばあちゃん。

歳の違う4人がそれぞれの幸せを探す物語なのだと僕は思っています。

探す・・・というのは少し語弊があるかもしれません。勿論探す心持ちも必要かもしれないですけど、ある人にとっては幸せとは気付くものであったり、確認するものであったりすると思いますし。

 

何度もこの小説の中で出てくる

「人生は~みたいなもの」というフレーズは、幸せ探しのヒントみたいなものかもしれませんね。

 

幸せとはを考えるにあたって、僕は以前読んだ尊敬する心理学者の書いた本にでてくる潜在意識と顕在意識の話を思い出しました。(「サブリミナルインパク下條信輔著」)

曰く、我々の思考は、「知っていること」「知っていないこと」の他に「知っているけど気付いていないこと」があるという話です。

例えば、将棋でいう妙手みたいなものは、その手が指された瞬間に、あぁこれは良い手だと直感で理解するかのような。

世の中には自分では気づくのはとても難しいけど、一度気付いてしまえばそれが実はずっと考えていたことの中にあったように感じるものがあるようです。この「知っているけど気付いていないこと」ってまさに幸せの在り方に近いのかなと思いました。

 

きっと人生で自分にとっての「幸せとは」これだって確信できるものが見つかった時は、この「最初からここにあったんだ」という感覚を味わえるのではないかと思っています。想像ですが。

 

 

当作品を読む中で、月並みで当たり前のようなことだけど「幸せ」とは決まったものではないことを痛感しました。人によっても違う。さらに同じ人でも過ごしている時によって違う。だからこそ多くの人がなんとなく思い描く幸せって、なんとも不確かなんですよね。自分の幸せなんか刻一刻と変わるのだから、今までの自分が思い続けていた幸せに囚われる必要なんてないのかもしれない。それならどうすれば今の自分の幸せが見つかるか。それはきっと自分の足で歩き続けて見つけるしかないんですよね。奈ノ花が何度も歌っているように幸せは歩いてこないのだから。

 

 

この本を読んだのち、様々な方がブログ等で書かれている考察を拝見しました。

その中であまり腑に落ちていないのが南さんの名前の由来です。スカートに刺繍がしてあり、それが南高校のものだからというものがありました。ただし作中に高校名に関して匂わせている箇所は(恐らく)無いですし、これだけ伏線を張り巡らせる住野さんがそういった前置きない情報で名前の決定をするとも思えなかったので、自分なりに考えてみました。

 

きっと「みなみ」ではダメで「南」であること。

スカートに刺繍してあること。

南さんって読むんでしょ?って奈ノ花が聞いたとき溜息をついたこと。

 

これらのことから、奈ノ花はスカートに刺繍された文字を読み間違った可能性があるのではないかと思います。そして何の字と間違えたのかと考えたときに「奈」と「南」なのではないかと思うのです。

これだけ見てもこの二つの字は違いが分かりづらいかもしれません。ただ「奈」という字は斜めに流れる線が多い漢字ですので、縫う際にある程度に直線的になることが予想されます。そうするとこの両字は酷似していると思うのです。

勿論、これは僕が個人的に想ったことなので間違っている可能性も十分あります。というか公式に理由を知っている方がいたら恥ずかしいのでこっそり教えて頂きたいです。笑

 

とまぁ、合っている外れているにせよ、こう誰も不幸にならない楽しい推理を考えるきっかけをくれた著者には感謝感謝ですね。

 

まだ、半尾のネコさんが何者なのか、マーチの由来、この世界の中心ストーリーはどこなのか、夢をただ見ていただけなのかなど僕自身の考えが及びきっていないこともあるのですが、それら全部を含めて良い意味で読後にもやもや考えてしまう僕好みの小説でした。

 

 

最後に末筆ではありますが、僕なりの人生とはを。

「人生は屋台で売っている焼きそばみたいなものだ」

「普段通りのものも特別だと思えばいっそう美味しく感じられる」